- 織田裕二の若い頃の伝説エピソード11選
- 伝説エピソード①超進学校桐蔭学園に進学していた!
- 伝説エピソード②7万人が応募したオーディションを勝ち抜いて映画デビュー&CDデビューを勝ち取った!
- 伝説エピソード③ホイチョイ3部作の2作でヒロイン相手役に抜擢されていた!
- 伝説エピソード④東京ラブストーリーのカンチ役で大人気俳優の仲間入り!
- 伝説エピソード⑤踊る大捜査線が大ヒットで名セリフを連発した!
- 伝説エピソード⑥いかりや長介が織田裕二を演技の師匠と仰いでいた!
- 伝説エピソード⑦映画の吹き替え声優に挑戦してバックトゥザフューチャーのマイケル・J・フォックスの声を演じていた!
- 伝説エピソード⑧世界陸上のメインキャスターに抜擢されて名言を連発していた!
- 伝説エピソード⑨ヘルニアで入院して主演ドラマを4話カットしていた!
- 伝説エピソード⑩的場浩司・石黒賢と仲が良かった!
- 伝説エピソード⑪ベストジーニストに選ばれていた!
- 出演ドラマ作品で振り返る若き日の織田裕二の軌跡
- 出演映画作品で振り返る若き日の織田裕二の軌跡
- 織田裕二が若い頃にリリースしたCD
- 織田裕二が若い頃に出演したCM特集
- 織田裕二の全盛期はいつ頃だったのか?
- 織田裕二プロフィール
織田裕二の若い頃の伝説エピソード11選
この記事では、織田裕二さんの若い頃の伝説エピソード11選をご紹介いたします。
- 超進学校桐蔭学園に進学していた!
- 7万人が応募したオーディションを勝ち抜いて映画デビュー&CDデビューを勝ち取った!
- ホイチョイ3部作の2作でヒロイン相手役に抜擢されていた!
- 東京ラブストーリーのカンチ役で大人気俳優の仲間入り!
- 踊る大捜査線が大ヒットで名セリフを連発した!
- いかりや長介が織田裕二を演技の師匠と仰いでいた!
- 映画の吹き替え声優に挑戦してバックトゥザフューチャーのマイケル・J・フォックの声を演じていた!
- 世界陸上のメインキャスターに抜擢されて名言を連発していた!
- ヘルニアで入院して主演ドラマを4話カットしていた!
- 的場浩司・石黒賢と仲が良かった!
- ベストジーニストに選ばれていた!
伝説エピソード①超進学校桐蔭学園に進学していた!
織田裕二さんの出身校は横花青葉区にある私立の桐蔭学園男子部(男子校)です。
桐蔭学園高校は中高一貫校として地元では有名な進学校であり、東大合格者を毎年多数輩出しています。
偏差値も65前後とそこそこの難関高校として知られています。
桐蔭学園高校出身の芸能人や有名アスリートなどはたくさんいます。
偏差値が高い学校であると同時にスポーツも盛んでした。
織田裕二さんは中学時代からテニスをやっており、高校に入っても硬式テニス部の門をくぐります。
しかし、練習をし過ぎたのでしょうか?
膝の軟骨が出てきてしまい、これ以上続けると歩けなくなると医者に言われて高校1年生のときに退部してしまいます。
織田裕二さんが後に語った回顧録の中で、自殺を考えたと語っています。
(子どもの頃から)ずっとスポーツ(テニス)をやってきたから、ひざを壊したときに自殺することも考えました。
この発言から、織田裕二さんがどれだけ本気でテニスに打ち込んでいたかがわかりますね。
365日テニスのことを考え、テニスに向き合ってきた少年が思い詰めてしまった感じですよね。
織田裕二さんは俳優になってからもストイックな俳優として有名ですから、学生時代にはすでに、自分がこれだと決めたものを真剣に取り組むという性分ができあがっていたのではないかと思えますね。
テニスをやめてから、多少脱線した学生生活を送っていたようです。
麻雀やビリヤードにハマり、学校の成績も下から数えたほうが早いくらいだったとか。
そんなとき、バンド活動もはじめ、「Deps」というロック系バンドを結成し、ギターを担当していたそうです。
高校二年生のときのクリスマスにライブを行い、見に来ていた人の紹介で芸能界にスカウトされたのだとか。
このバンドに思い入れがあるようで、自身が俳優として活躍するようになって結成されたファンクラブの名前を「Deps」にしています。
伝説エピソード②7万人が応募したオーディションを勝ち抜いて映画デビュー&CDデビューを勝ち取った!
織田裕二さんのデビュー作は、1987年に上映された映画「湘南爆走族」という不良マンガを実写化した映画版です。
織田裕二さんが20歳の時でした。
役柄は意外にも暴走族の親衛隊長という役でした。
この映画は江口洋介さん、清水美沙さんのデビュー作としても知られています。
貴重なメイキング動画がyoutubeにアップロードされています。
当時湘南爆走族のマンガやOVA大ヒットしていただけではなく、スケバン刑事やビーバップハイスクールなどの不良系作品がブームでした。
その影響から、石川晃役を決めるオーディションには全国から約7万人が応募したと言われています。
そんな中、準主役である石川晃役を織田裕二さんが勝ちとります。
@yukinko20081208 みました!湘南爆走族実写!みんな若くて(笑)江口洋介さんも織田裕二さんもオーディションから受けてたんですね!昔うちの前もバリバリ走ったなぁ。もうこういう時代は来ないんでしょうかね~ pic.twitter.com/yTjwrF4i5O
— うさくま (@usakumaori) November 19, 2015
湘南爆走族知らんよな〜80年代漫画の実写のオーディションで主人公役の江口洋助役を江口洋介が受かった事、知らねぇよな〜😢織田裕二も出てるんだぞ、知らなねえだろな〜 pic.twitter.com/bZOA9zwvOW
— トラック怒羅亞さん (@satoP245) February 18, 2020
織田裕二さんは元々漫画版『湘南爆走族』のファンで、オーディションの前に全巻読んでいたそうです。
血気盛んでケンカっ早い石川晃というキャラクターを気に入り「晃役だったらやりたい」とオーディションに参加したと2003年に発売された『織田裕二 素顔の軌跡』の中で語っています。
石川晃役の応募だけで7万人いたと言われるオーディションでしたが、最終オーディションには数人に絞られました。
最終オーディションは台本が渡され、演技審査が行われたそうです。
そして、気合の入っていた若かりし頃の織田裕二さんは、原作漫画に出てくる石川晃の髪型と同じ金と赤で染めたリーゼント姿で登場。
また、映画ではバイクに乗るシーンが多数ありましたが、織田裕二さんは当時バイクの免許を持っていなかったため、オーディション中に教習所に通い、中型免許を取得したそうです。
最終オーディションの演技審査は江口と石川の役を、それぞれの応募者が演じる形式で行われました。
江口役を演じた男性応募者が、石川役を演じた織田裕二さんを叩いてきたことで、織田裕二さんがキレて、相手に殴り返したそうです。
それがプロデューサーの目に留まり、石川役を勝ち取ったと伝説的なエピソードとして語られています。
プロデューサーが『織田くんは何が得意なの?』と聞いたら、織田裕二さんは『ケンカだ』と答えたそうです。
それも決め手になって、ぜひ使いたいと思ったと当時のプロデューサーが語っています。
織田裕二さんが石川晃役を演じることについては、審査していたスタッフ全員の一致で決まったそうです。
プロデューサーを務めた坂上順さんは後に次のように回顧しています。
江口君が女の子も納得するタイプだとしたら、織田君は男にモテるスターになれると思いました。女の子に通じるか僕には分からなかった。でも出てみたら女の子の支持も大きくてね。会社の営業部と宣伝部に顔見せしたときも、一番みんながいいなって言ったのは織田君だったんですよ。
また、織田裕二さんや江口洋介さんたちの世代が世界に通用する日本映画を担っていく世代になると期待もしていたようです。
僕らにとっては夢だった世界マーケットに通用する日本映画が織田君たちの世代にはできるんじゃないかと期待しています。
織田裕二さんは、同時に挿入歌である「Boom Boom Boom」で歌手デビュー。
カップリング曲の「Hold You Tight」はNORDICAのイメージソングに起用されました。
高校時代のバンド経験を活かした演奏をしながらがミュージックステーションにも出演しました。
伝説エピソード③ホイチョイ3部作の2作でヒロイン相手役に抜擢されていた!
ホイチョイムービーとは、バブル全盛期に流行を生み出したクリエイターグループ「ホイチョイ・プロダクション」が原作を担当した映画作品であり、当時若者を中心に大ヒットとなりました。
ホイチョイ三部作の合計配給収入は約25億円と発表されていますので、興行成績だけでみると「メガヒット」という数字ではありませんが、影響力のとても強いシリーズでした。
映画の雰囲気が最高にかっこいいんですよね。
映画で使われる曲もよく、その曲をバックにストーリーが展開されていくのが、当時は何とも言えずカッコよかったんです。
1作目はスキーをテーマにした「私をスキーに連れてって」ですが、この作品には織田裕二さんはまだ出演していません。
松任谷由実さんの曲が使用されて「恋人がサンタクロース」の楽曲ともに大ヒット。
その第2弾、第3弾に若い頃の織田裕二さんが抜擢されて出演しています。
織田裕二さんは若い頃にホイチョイムービー2作品に出演して、ヒロインの相手役に抜擢されています。
東宝1989年6月公開 彼女が水着にきがえたら |
ヒロインは原田知世 |
東宝1991年8月公開 波の数だけ抱きしめて |
ヒロインは中山美穂 |
「彼女が水着にきがえたら」が撮影された1989年はいわゆるバブル絶頂期で、マリンスポーツをテーマにした映画でした。
当時はジェットスキーが飛ぶように売れ、都内にダイビングスクールが次から次へとオープンしていた時代背景があります。
サザンオールスターズの曲をバックにバブリーな雰囲気が楽しる作品に仕上がっています。
動画はこちら(映画のオープニングはサザンオールスターズのさよならベイビーで始まります)
彼女が水着にきがえたら(89)
先日ようやく発売されたホイチョイプロの第二弾💓
めっちゃ良きです🙆♀️🙆♀️
80sラフゴメと言えばマッカーシーのマネキンとかめっちゃ好きなんですが、日本でやったらこんなんかな〜みたいな?|• •๑)✨
バブリーな魅力に彩られた尊い作品に感じました💌 pic.twitter.com/uxQsL418qv— ゆいちむと映画 (@yui_mov) September 11, 2022
チャンネルNECOで『彼女が水着にきがえたら』見てる。すごいバブってる。 pic.twitter.com/QI2PwNhYoM
— ナイトウミノワ (@minowa_) June 5, 2017
波の数だけ抱きしめてでは、スポーツではなく、湘南のミニFMラジオ局がテーマでした。
真っ黒に日焼けした中山美穂さんと松下由樹さんが話題になりました。
音楽は松任谷由実さんが起用され、作中にラジオ曲として多くのAORナンバーが使用されたかっこよくも切ない仕上がりになっています。
動画はこちら(映画のオープニングは松任谷由実さんのValentine’s RADIOで始まります)
映画「波の数だけ抱きしめて」
📻🎶㊗公開30周年!!🎉🌊🏄‣出演:#中山美穂 #織田裕二 #別所哲也 #松下由樹 #阪田マサノブ 他
‣原作:ホイチョイ・プロダクションズ
‣監督:馬場康夫
‣脚本:一色伸幸
‣音楽:松任谷由実
‣製作:フジテレビジョン/小学館
‣配給:東宝#1991年8月31日公開💐#30周年🎊 pic.twitter.com/Sje4IRmUaY— ばぶりっくぷれっしゃー (@Maps415lapsM) August 30, 2021
「波の数だけ抱きしめて」の松下由樹さんは、小ささな身体で元気いっぱいで、中山美穂さんとは違う魅力のある女性でした。その後はどっしり構えたベテラン感ある役どころが多い印象なのですが。この頃好きです。#波の数だけ抱きしめて #織田裕二 #中山美穂 #松下由樹 pic.twitter.com/Drt6n1VnwQ
— 土方瑞楼 (@8o9_m) May 21, 2020
時代の先端をクリエイトしていたホイチョイ作品に抜擢されたことで織田裕二さんがトレンディー俳優としての地位を確立していくきっかけとなった作品でした。
伝説エピソード④東京ラブストーリーのカンチ役で大人気俳優の仲間入り!
東京ラブストーリーは1991年にフジテレビの夜9時に放送されて、空前絶後の大ヒットドラマになりました。
月9という言葉が生まれたのも、この東京ラブストーリーがきっかけになったほどの人気作品でした。
1話目から視聴率20%を超え、最終話の視聴率は32.3%を記録しています。
主題歌だった小田和正さんの「ラブストーリーは突然に」はCDが売れすぎて売り切れ点が続出。
2週間も欠品になるなど社会現象とまで言われるほどの大ヒットドラマになりました。
織田裕二さんのモノマネをしている山本高広さんが「ずっちぃな 」とネタにしていますが、これは東京ラブストーリー第1話の実際のシーンで織田裕二さんが本当に言っているのです。
織田裕二さんが演じた永尾完治は少年の純粋さや、素朴な雰囲気が残る一面、優柔不断な部分があるという難しい役柄でした。
このカンチ役で大ブレイクを果たした織田裕二さんですが、しばらくはこの東京ラブストーリーがあまりにヒットしたことで自身の悩みの種になっていたそうです。
視聴者の多くが「織田裕二=カンチ」と認識していたため、自身のコンサートでも織田裕二ではなく「カンチ」と呼ばれたそうです。
のちに東京ラブストーリー以来の共演となった鈴木保奈美さんと「SUIT」の記者会見で次のように語っています。
コンサートやってもカンチって言われる。いつまでカンチやってないといけないんだろうって。『俺は織田裕二ですよ』って言っちゃうぐらい、つらかった。
辛かったの?
つらかったの、気持ちは嬉しいんですけど、どっかでこれはまずいと。カンチに僕が飲み込まれちゃうと。
当時は苦悩の日々だったそうです。
キラキラした月9を捨て、月9のオファーを全て蹴り。僕はあそこで終わりたくないから頑張れた。今、ここにいるのはある意味、『東京ラブストーリー』のおかげ。
そう語るほど、東京ラブストーリーは織田裕二さんにとってとても大きな影響を与えた作品だったんですね。
やっぱ東京ラブストーリーは
織田裕二と鈴木保奈美がいいなぁ
2020年のやつはほとんど観てないけど…… pic.twitter.com/pZcOqo4lbY— だいすけ!(*ゝω・*)ノ (@restofmylife68) August 9, 2020
寝れんから東京ラブストーリーでも
織田裕二若いwww pic.twitter.com/ITOUKkpPdz
— P-Funky(Pパパ)㍿TJ &ティンぱぱ登山部所属 (@pdmg888) October 29, 2022
伝説エピソード⑤踊る大捜査線が大ヒットで名セリフを連発した!
踊る大捜査線は1997年(織田裕二さんが30歳の時)にフジテレビで放送されたテレビドラマでした。
映画化もされて、劇場版1作目『踊る大捜査線 THE MOVIE』は興行収入101億円、観客動員数は700万人、続編の『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』は興行収入173.5億円、観客動員数は1250万人と歴代邦画第1位の記録を打ち立てるほどの大ヒットとなり、織田裕二さんの代表作となっています。
踊る大捜査線の中で織田裕二さんが演じた青島俊作という人物が数多くの名言を残し、後に多くのオマージュを生んでいます。
とくに有名なセリフは
事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!
レインボーブリッジ封鎖出来ません
他にもたくさんあります。
いいか、よーく覚えとけよ。パパが偉いからってな何やっても許されると思うな。許してくれるのはなパパのお友達だけだ!
室井さん聞こえるか。仲間が撃たれた。 どうして現場に血が流れるんだ!
リーダーが優秀なら組織も悪くない
これ(警察手帳・手錠)持ってても人助けられないんだったら、こんなもんいらないっすよ!
室井さんみたいな人が上にいるなら俺は安心して下にいます。だから室井さんは上で頑張ってください。
織田裕二さんと言えば「青島警部」という印象が強い人もいるくらい、「織田裕二=踊る大捜査線」というイメージを持っている人が多いほどの大ヒット作になりましたね。
実際にランキングサイトによると織田裕二のドラマランキングでは踊る大捜査線が1位になっています。
伝説エピソード⑥いかりや長介が織田裕二を演技の師匠と仰いでいた!
織田裕二さんは役者としてのストイックさが凄く、芝居への向き合い方が半端じゃないと業界では有名でした。
そんな織田裕二さんを演技の師匠だと仰ぐ人がいました。
それがいかりや長介さんです。
いかりや長介さんの本業はコメディアンであり、ミュージシャンです。
専業の役者さんではありません。
そんなとき、本物の俳優織田裕二に出会ったいかりや長介さんは『踊る大捜査線』での共演の際に、テレビドラマでの演技を請うたそうです。
ドラマではいかりや長介さんが織田裕二さん演じる青島の先輩刑事を演じていたのですが、こと芝居に関して言えば、織田裕二さんがいかりや長介さんに頼まれて、テレビドラマにおける演技のノウハウを教えていたというのです。
1999年4月13日に放送されたフジテレビ特別番組『踊る織田裕二』での対談で、いかりや長介さん本人が、「剣豪に倣って、あなたの芝居は何流か? と問われれば、織田流だと答える」と述べています。
織田裕二さんへの感謝の気持ちがあふれていました。
このエピソードは、いかりや長介さんが書いた自伝『だめだこりゃ』の中でも語られています。
織田裕二さんは、いかりや長介さんが亡くなった今でともて慕っていると自著『脱線者』で語っています。
伝説エピソード⑦映画の吹き替え声優に挑戦してバックトゥザフューチャーのマイケル・J・フォックスの声を演じていた!
織田裕二さんが売れ始めてきた1990年にフジテレビで放送されているゴールデン洋画劇場でバックトゥザフューチャーが放送されました。
そのときに、主人公マーティ(マイケル・J・フォックス)の吹き替えとして声優をこなしていたことがあります。
視聴率は24.9%と高く、これまで31回テレビで放送されていますが、歴代最高視聴率を記録しています。
前年の1989年にテレビ朝日の日曜洋画劇場でバックトゥザフューチャーがテレビ発放送されたときのマーティの声優は三ツ矢雄二さんが担当していたため、織田裕二さんでは違和感があるとの声もありましたが、織田裕二さんの声が合っていると評判でした。
反響が良かったこともあり、1992年のゴールデン洋画劇場でバックトゥザフューチャー2が放送されたときも織田裕二さんがマーティの吹き替えを担当しています。
#バック・トゥ・ザ・フューチャー
といえば昔、地上波で放送された
“ダブルゆうじ”吹替版が忘れられない…マーティ → 織田裕二
ドク → 三宅裕司最初から最後までご本人の顔が浮かびっぱなしだけど、それはそれで良い想い出📺#BTTF pic.twitter.com/oFDF4wUIRm
— やみくろ (@yamikuro1027) June 13, 2020
バック・トゥ・ザ・フューチャー
【ゴールデン洋画劇場吹替版】初めて見たBTTFは織田裕二吹替版だったのもあって、大好きな吹替版のひとつ。思い出補正凄い pic.twitter.com/XD0ktD4qZ8
— 竜也くんは別垢で息してる (@shamanippon0621) April 22, 2017
伝説エピソード⑧世界陸上のメインキャスターに抜擢されて名言を連発していた!
2年に一度開催される陸上の祭典世界陸上をTBSが放送しているのですが、そのメインキャスターに織田裕二さんが選ばれたのが1997年の第7回アテネ大会です。
そこから2022年の18回ユージーン大会まで13大会連続25年間に渡り、メインキャスターを務めてきました。
その司会でのハイテンションぶりが面白く、毎回話題になっています。
数々の名言を残し、世界陸上の顔とまで言われるほどの人気ぶりでした。
地球に生まれてよかったー!
なにやってんだよ、タメ
事件はパリで起きてます!
マラソンゲート、封鎖できません!!!!!!
も~~ぉ!今日観なかったらアホ!!言い過ぎた!!!
霊長類なめんな
織田裕二さんは2022年に「陸上競技の認知度向上に著しく寄与した」として連盟特別賞を2022年に受賞しています。
たしかに、世界陸上というよりも、司会の織田裕二が面白くて視ているという人もいたようです。
1997年から2022年までの25年間、13大会あった世界陸上メインキャスターを勤めた織田裕二さん。世界陸上の顔となった彼の功績を讃えます
今年デビュー35周年、55歳を迎える。
次のステージへと飛躍する彼の今後が楽しみで仕方ない!ちなみに1997年は『踊る大捜査線』のドラマが始まった年である。 pic.twitter.com/pxyKdXr7xE
— chobin (@chobin_7) July 26, 2022
織田裕二今回が世界陸上最後なんですね!世界陸上=織田裕二くらいに思ってたので寂しいです😔#地球に生まれて良かった pic.twitter.com/G3jS1du5qP
— ♨️サウナ・しゅうた♨️池袋デリヘル倶楽部 (@kanekishuta) July 25, 2022
伝説エピソード⑨ヘルニアで入院して主演ドラマを4話カットしていた!
2001年に織田裕二さん(34歳の時)が主演したドラマ『ロケット・ボーイ』の撮影中に持病の腰痛が悪化しまいます。
ロケット・ボーイの前に撮影したホワイトアウトの撮影時に無理をしたことで腰を痛めたそうです。
ホワイトアウトは極寒の環境下で、さらにスタントマンなしでの撮影だったことが影響したようです。
椎間板ヘルニアによる緊急入院を余儀なくされ、撮影を中断。
その影響で『ロケット・ボーイ』は全11話の予定だったものが全7話に再構成されてしまいました。
第2話放映後の4週分は『ロケット・ボーイ』の放送を休止して、共演していたユースケ・サンタマリアさんと市川染五郎さんの新撮シーンと『踊る大捜査線』の再放送で穴埋めするという異例の措置が話題になりました。
伝説エピソード⑩的場浩司・石黒賢と仲が良かった!
織田裕二さんが親友だと公言している俳優さんが2人います。
それが的場浩司さんと石黒賢さんです。
2007年8月に放送された『うたばん』で12年ぶりに的場浩司さんと共演した際、お互いを「織田ちゃん」と「マッキー」の名で呼び合うほど当時から仲が良かったと話しているます。
ちなみに、的場浩司さんのあだ名がマッキーなのは、浅野温子さんが「お前は人間の末期的症状だ」と言ったところから由来していそうです。
織田裕二さん、的場浩司さん、浅野温子さんが出演したドラマ「ママハハブギ」の頃につけられたあだ名なんだと思われます。
織田裕二さんと的場浩司さんは若い頃に5回も共演している仲でした。
ママハハブギ 1989年TBS 当時22歳 |
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予備校ブキ 1990年TBS 当時23歳 |
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卒業 1990年TBS 当時23歳 |
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就職戦線異状なし 1991年東映 当時24歳 |
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きけ、わだつみの声 Last Friends 1995年東映 当時28歳 |
もう一人の親友として有名なのが石黒賢さんです。
石黒賢さんとも過去に3回共演している間柄です。
振り返れば奴がいる 1993年フジテレビ |
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ホワイトアウト 2000年東宝 |
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真夜中の雨 2002年TBS |
2000年に織田裕二さんが主演した映画「ホワイトアウト」に石黒賢さんが織田裕二さんの親友役で出演しているのですが、このキャスティングを織田裕二さん自身が推薦したと言われています。
役柄に強いこだわりを持っている織田裕二さんですから、台本を読んだときに、親友吉岡役は石黒賢さんがぴったりなイメージを抱いたのかもしれませんね。
石黒賢さんが司会を務めていたバラエティー番組「君といつまでも」に織田裕二さんがゲスト出演したときには、番組冒頭で「振り返れば奴がいる」のパロディーを披露して話題になりました。
伝説エピソード⑪ベストジーニストに選ばれていた!
織田裕二さんは若い頃、ジーンズをラフに着こなすファッションスタイルを主としていました。
時折、ファッション雑誌の表紙を飾るなど、ファッションも注目されていた一人です。
デニムオンデニムや短パンなんかもよく着用していました。
1991年にはベストドレッサー賞を受賞していますし、1992年にはベストジーニストにも選ばれています。
出演ドラマ作品で振り返る若き日の織田裕二の軌跡
ここでは織田裕二さんがデビューした20代の若い頃に出演していたドラマ作品を出演シーン画像と併せてプレイバックします。
踊る大捜査線は織田裕二さんが30歳のときの作品なんですね。
まだ織田裕二さんが若々しいですね!
出演映画作品で振り返る若き日の織田裕二の軌跡
ここでは織田裕二さんが10代20代の若い頃に出演していた映画作品を出演シーン画像と併せてプレイバックします。
織田裕二さんが24歳の時に主演した映画「就職戦線異状なし」で共演した坂上忍さんと長い間絶縁状態にあると噂されていたのですが、これがデマだったと坂上さん本人が後に語っています。
織田裕二が若い頃にリリースしたCD
ここでは織田裕二さんが10代20代の若い頃にリリースした楽曲をプレイバックします。
1987年(当時20歳) 東宝映画「湘南爆走族」挿入歌 「NORDICA」ラジオCMイメージソング |
BOOM BOOM BOOM/Hold You Tight |
1989年(当時22歳) TBS「邪魔してゴメン!」 エンディングテーマ |
週末だけは少年 |
1991年(当時24歳) スズキ「セルボ・モード」 イメージソング |
歌えなかったラヴ・ソング |
1991年(当時24歳) AGF「マキシムレギュラーコーヒー」 イメージソング 参天製薬「サンテFX」CMソング |
現在、この瞬間から |
1991年(当時24歳) 明治製菓「ガトーマロン」CMソング |
Happy Birthday |
1992年(当時25歳) 参天製薬「サンテFX」 CMイメージソング |
KODO-鼓動- |
1992年(当時25歳) 東芝 「ツインロータリーエアコン’92」 キャンペーンソング |
あの夏が聴こえる |
1993年(当時26歳) 参天製薬「サンテFX」 CMイメージソング フジテレビ系ドラマ「素晴らしきかな人生」 挿入曲 |
決心 |
1994年(当時27歳) フジテレビ「お金がない!」 主題歌 |
OVER THE TROUBLE |
1994年(当時27歳) 参天製薬「サンテFX」 イメージソング 参天製薬「サンテコンタクト」 イメージソング |
Never Rain/失くしかけた約束 |
1995年(当時28歳) フジテレビ「正義は勝つ」 主題歌 |
愛までもうすぐだから |
1996年(当時29歳) 参天製薬「サンテFX」 イメージソング |
Mirage |
1997年(当時30歳) フジテレビ「踊る大捜査線」 主題歌 |
Love Somebody |
1997年(当時30歳) TBS「世界陸上アテネ大会」 テーマソング NTT docomo CMソング |
Over and Over Again/FLY HIGH |
織田裕二さんの最大のヒット曲は東京ラブストーリーに出演しているときにリリースした「歌えなかったラヴ・ソング」です。
オリコンランキング最高2位を獲得し、セールスは57.5枚を記録しました。
当時、ミュージックステーションに出演した際に東京ラブストーリーの出演メンバーが中継で応援するという演出が話題になりました。
織田裕二が若い頃に出演したCM特集
ここでは織田裕二さんが10代20代の若い頃に出演したCMをプレイバックします。
サンテFXのCMには色んなバージョンがあるのでこちらをご覧ください。
個人的にはこのセルボモードセダンのCMが好きでした。
織田裕二の全盛期はいつ頃だったのか?
織田裕二さんの全盛期はいつ頃だったのでしょうか?
きっと織田裕二さんご本人に言わせると「現在が全盛期だ」とおっしゃるかもしれません。
しかし、いちファンとしてデビューの頃から織田裕二さんをみてきて感じるのは、プロッぽさが出てきてしまう前の初々しい青年を演じていた織田裕二さんが一番魅力的に感じました。
とくに、ママハハブギ、予備校ブギ、東京ラブストーリー、彼女が水着にきがえたら、就職戦線異状なし、波の数だけ抱きしめてに出演していた頃の織田裕二さんの演技が一番好きでした。
久々に「就職戦線異状なし」でも観るかな。こん時の織田裕二が一番好きな織田裕二だけど、アマルフィ女神の報酬の織田裕二は一番嫌いな織田裕二。
世界陸上の織田裕二は、好きでも嫌いでもない。 pic.twitter.com/fgU0JQYknL— ANTONIO (@antonio_comu) November 22, 2019
織田裕二、予備校ブギでもカッコ良かった~🥰
部屋もオシャレだったけどファッションもめっちゃ素敵。
本当カッコイイ🥰
明日からはママハハブギを観る~ pic.twitter.com/Kb6nh08VVE— ズースカ(リプ通知不具合有) (@manekinekoch) June 6, 2022
とくに、主演ではないときの作品で織田裕二さんが時折みせる仕草や表情が何とも言えない味がある演技だったことが忘れられません。
この頃、出演作品が次々に大ヒットして、織田裕二さんの人気も急上昇し、CM出演も増えていきましたし、歌手織田裕二としても活動の幅を広げていった時代でした。
そんな1990年代が織田裕二さんの全盛期だったのではないかと考察します。
もちろんこの時代はまだ織田裕二さんが人気、知名度的に完全にブレイクしているとはいえないタイミングですが、ブレイクして主演作品が増えて、貫禄の出てきた織田裕二さんよりも、1990年代の織田裕二さんはかけがえのない、替えの効かない存在だったように思えます。
若い頃の織田裕二さんの作品を知らないという方はぜひ、ブレイク前の1990年代の作品をご覧ください。
織田裕二プロフィール
本名 | 織田裕二(おだゆうじ) |
生年月日 | 1967年(昭和42年)12月13日 |
身長 | 177㎝ |
血液型 | A型 |
結婚 | 2010年8月16日に12歳年下の一般人女性と結婚 2014年10月末に長男が誕生 |
出身地 | 神奈川県川崎市 |
所属事務所 | BAC CORPORATION |
公式サイト | Yuji Oda Official Web Site |
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