- 福山雅治若い頃の伝説エピソード11選
- 伝説エピソード①中学時代からバンドを組んで活動していたがボーカルではなくギター担当だった!
- 伝説エピソード②アミューズ10ムービーズオーディションに遅刻するも合格して芸能デビューしていた!
- 伝説エピソード③ヒロイン富田靖子の相手役という高待遇で映画デビューしていた
- 伝説エピソード④ミュージシャンになりたかったのでドラマの主演依頼を拒否していた
- 伝説エピソード⑤CDデビューするも考えられないほどの低調ぶりだった
- 伝説エピソード⑥提供楽曲ではなく自ら作詞作曲する形で大ヒット曲を連発していた
- 伝説エピソード⑦笑福亭鶴光のオールナイトニッポンを愛聴して下ネタの参考にしていた
- 伝説エピソード⑧カメラマンとしての才能も凄かった
- 伝説エピソード⑨ananの「好きな男ランキング」では10年連続2位だった
- 伝説エピソード⑩「男性が選ぶなりたい顔」で2013年で5連覇となり殿堂入りしていた
- 伝説エピソード⑪業界関係者の間で高い演技力を評価されている
- 出演ドラマ作品で振り返る若き日の福山雅治の軌跡
- 出演映画作品で振り返る若き日の福山雅治の軌跡
- 福山雅治が若い頃にリリースしたCD
- 出演CMで振り返る若き日の福山雅治の軌跡
- 福山雅治の全盛期はいつ頃だったのか?
- 福山雅治プロフィール
福山雅治若い頃の伝説エピソード11選
- 中学時代からバンドを組んで活動していたがボーカルではなくギター担当だった!
- アミューズ10ムービーズオーディションに遅刻するも合格して芸能デビューしていた!
- ヒロイン富田靖子の相手役という高待遇で映画デビューしていた!
- ミュージシャンになりたかったのでドラマの主演依頼を拒否していた!
- CDデビュー当時は全然売れなかった!
- 提供楽曲ではなく自ら作詞作曲する形で大ヒット曲を連発していた!
- 笑福亭鶴光のオールナイトニッポンを愛聴して下ネタの参考にしていた!
- カメラマンとしての才能も凄かった!
- an・anの「好きな男ランキング」では10年連続2位だった!
- 「男性が選ぶなりたい顔」で2013年で5連覇となり殿堂入りしていた!
- 業界関係者の間で高い演技力を評価されていた!
伝説エピソード①中学時代からバンドを組んで活動していたがボーカルではなくギター担当だった!
芸能界デビューしてからの福山雅治さんは、サラサラヘアに爽やかなスマイルのイケメン路線で来ていますが、中学生時代は一緒のヤンキーだったようです。
この写真は、中学の卒業アルバムの写真ですが、リーゼントで卒アルの写真を撮ろうしていた福山雅治さんは体育の先生に見つかり、坊主にさせられてしまったというエピソードがあります。
お兄さんの影響で中学1年生時にギターを弾き始め、中学2年生の頃に友人とバンドを結成し、卒業式前日には学校の体育館で『不死鳥(フェニックス)』というバンド名でライヴを行ったそうです。
今となってはかなり貴重な光景です!
バンド名に『不死鳥(フェニックス)』と名付けるなんて、中二病というか黒歴史かもしれませんね(笑)
また、お兄さんとは『“LAR”』というバンドを組んで活動しており、お兄さんはドラム・福山雅治さんはギターを担当していました。
歌い始めたきっかけは、ボーカルを担当していたバンドメンバーが抜けてしまって代わりがいなかったからだそうです。
当時の福山雅治さんはギタリストになりたかったそうで、自分の声にはコンプレックスのようなものがあったと回想しています。
伝説エピソード②アミューズ10ムービーズオーディションに遅刻するも合格して芸能デビューしていた!
長崎工業高校を卒業後に、地元の電子計測器会社に就職しますが、5か月で退職。
夢を諦めきれず、単身上京し、1988年にアミューズの「アミューズ10ムービーズオーディションオーディション」に応募。
しかし、応募はしたものの、結果の連絡がなかったため、落ちたと思いドライブに出かけた福山雅治さん。
そんな矢先、愛車(いすゞ・ジェミニ)のマフラーが脱落したため修理しようとアパートに戻るとオーディションの連絡が電報で届いており、慌ててオーディション会場に駆けつけ遅刻ながらも受けさせてもらえたそうです。
偶然なのか、何かの力が働いたのか、とにかくこのマフラーの脱落がなかったら今の福山雅治さんはなかったでしょう。
後にアミューズ取締役会長の大里洋吉氏が福山雅治さんのラジオに出演した際、当時の事をこう語っていました。
「(オーディションに)遅刻するような時間にルーズな奴は芸能界に向いてないから要らない」と会わずに帰ろうとしたが、周囲の女性スタッフたちが「どうしても会ってほしい」と訴えたことに「女の子たちがそこまで言うからには何か持っている奴なのかも知れない」と考え会うことにした。
当時の女性スタッフ達をも味方につけ、社長をも動かした福山雅治さん、やはり芸能界に入るべくして入ったとしか思えません。
福山雅治さんが受けた10ムービーズオーディションオーディションの同期と当時の写真を福山雅治さん自身がInstagramで公開しています。
このオーディション出身の同期には女優の奥貫薫さん、俳優東根作寿英さん、塩ノ谷 和康さん(元いいとも青年隊で現在は芸能界引退)、桂島 広樹さん(引退)などがいるようです。
伝説エピソード③ヒロイン富田靖子の相手役という高待遇で映画デビューしていた
1988年(19歳当時)にアミューズに合格した福山雅治さんは、早速同年に後悔された映画『ほんの5g』で俳優デビューしました。
同じ事務所で当時看板スターだった富田靖子さんのバーターと思われますが、ヒロインの相手役で二番手という、まさに期待の高さが伺えるエピソードですね。
伝説エピソード④ミュージシャンになりたかったのでドラマの主演依頼を拒否していた
1991年にTBS金曜ドラマ『あしたがあるから』に出演した福山雅治さん。
これ以前にもドラマの仕事を打診されていたのですが、あくまでも『ミュージシャンになる』のが夢だったため出演依頼を断っていたそうです。
ですが、尊敬するARBの石橋凌さんや映画『狂い咲きサンダーロード』で主演した山田辰夫さんがこのドラマに出演するということで福山雅治さんも出演を決意したというエピソードを2009年に発売された雑誌別冊カドカワで語っています。
自分は俳優になりたいのではない、ミュージシャンになりたい!という強い意志を若いうちの売れる前からしっかり主張できていたのは、凄いことだと思います。
伝説エピソード⑤CDデビューするも考えられないほどの低調ぶりだった
1990年(21歳当時)3月21日シングル『追憶の雨の中』で念願のデビューを果たしますが、オリコンチャートで計測不能とされてしまいました。
デビュー楽曲には強いこだわりがあり、誰かが作詞作曲した提供曲ではなく、自らが作詞作曲したものを歌いたいと要望したそうです。
発売当時は福山雅治さん自体がまだ無名に近く、まったくと言っていいほど売れませんでしたが、福山雅治さんに人気が出て、楽曲が注目され始めると、この『追憶の雨の中』は高い評価を受けるようになりました。
ファンの中でも根強い人気があります。
福山雅治の曲は初期に名曲がある。
追憶の雨の中、逃げられない、IT′S ONLY LOVEが特に良い。
桜坂より全然好き!— ヨーヘイ (@youhei1981) February 3, 2011
福山雅治の【追憶の雨の中】、スゴく好きだったよ✨
出演ドラマ【愛はどうだ】のGood night でおちたんだよねえ💕
めちゃくちゃ名曲よね🎵— ちゃみ (@htfgt_chami) December 4, 2020
そんな若き頃の福山雅治さんですが、1990年シングル『追憶の雨の中』をリリースしたあと、シングル『アクセス』とアルバム『伝言』続けてリリースしますが、まったく売れず圏外となっています。
どちらも今聞き返してみれば、名曲がたくさん入っている秀逸な作品なのですが、当時はまだ無名だったためか、売れなかったわけです。
翌年の1991年にはシングル『風をさがしてる』とアルバム『LION』をリリースしますが、これも圏外…
1991年10月に発売されたシングル『WOH WOW』でようやく89位というランキング圏内に入ったという、今では考えられない結果でした。
しかし、1990年に発売されたセカンドシングル『アクセス』で福山雅治さんは楽曲提供という実績を築いていました。
この曲は元々菊池桃子さんが出演したCM『Victor ムービーごっこ』のために作られたのです。
問合せが殺到したため正式に福山雅治さんの楽曲として音源化され、この曲でテレビ朝日系『ミュージックステーション』に初出演を果たしたのです。
福山雅治さんが歌手としてようやく注目されたのは1992年5月21日発売の5thシングル『Good night』で、この時オリコンランキング9位を獲得しました。
そこから徐々にミュージシャンとしての地位を築き始め、その後の活躍ぶりは説明不要ですね。
伝説エピソード⑥提供楽曲ではなく自ら作詞作曲する形で大ヒット曲を連発していた
福山雅治さんはデビュー曲のリリースの時点で、事務所が用意した作曲家による楽曲でのデビューを拒否しています。
他人が作った用意された楽曲ではなく、自分で作った自分の歌でデビューしたいという強い意志があったようです。
福山雅治さんが歌手デビュー当時から自ら作詞作曲した楽曲にこだわっていた理由は、2つあると言われています。
- 表現力とアーティストとしてのアイデンティティを追求する意識が強かったため
- 自分に合った音域の歌を歌いたいと思っていた
福山雅治さんは音楽に対する情熱と才能を持っており、自分自身の感情や思いを音楽を通じて表現することに強い意欲を持っていました。
自ら作詞作曲することで、彼の内面や世界観を正確に伝えることができ、より真摯な表現が可能になると考えたのかもしれません。
また、自ら作詞作曲することによって、福山雅治さんは自身のアーティストとしての個性や独自性を追求することができました。
彼が作り出す楽曲は、彼自身の感性や経験が反映されたものであり、他のアーティストとは異なる独自の音楽性を持っていました。
さらに、福山雅治さんは音楽において自己成長を追求する姿勢も持っていました。
作詞作曲を通じて、音楽の表現力や技術を向上させることで、より深い感情やメッセージを伝えることができると考えたのかもしれません。
総じて、福山雅治さんが自ら作詞作曲した楽曲にこだわったのは、自己表現のための欲求やアーティストとしての個性の追求、そして成長を遂げるための意識が強かったからだと言えるでしょう。
さらに福山雅治さんが歌える音域は決して広くはなく、1オクターブ半ほどしか声がでないそうです。
事務所やレコード会社のスタッフの前で歌ってみると、「声がいいね」と言われて、高いキーの歌を歌ってみたいと思い始めます。
そのせいで、ポリープになり、デビュー前に声帯ポリープの手術を受けていたそうです。
そのせいもあって、自分に合った音域の歌を歌いたいと思い、自ら作詞作曲した楽曲にこだわってきているようです。
福山雅治さんは作詞作曲が出来るだけでなく、ベース・ドラム・ピアノ・キーボードなどを演奏する事があり、バンドで必要な楽器は一通りこなせるそうです。
これだけの才能に加えて端正なルックス…
『天は二物を与えず』という諺は福山雅治さんにとっては無縁ですね。
しかし、実績のない、無名の若手がこだわりを通すというのは大変なことです。
「俺はこうしたいんです!」と言ったところで、売れるための事務所の方針に従わざるを得ないということが往々にして起こります。
しかし、福山雅治さんはデビューから一貫して、自らが楽曲を作り続けました。
まったく売れなくても、それは続きました。
事務所関係者が福山雅治さんの才能に気づき、売れると信じてくれていたのでしょう。
追憶の雨の中 | 作詞作曲 福山雅治 |
アクセス | 作詞作曲 福山雅治 |
風をさがしてる | 作詞作曲 福山雅治 |
WOH WOW/ただ僕がかわった | 作詞作曲 福山雅治 |
Good night | 作詞作曲 福山雅治 |
最初のヒット曲、Good nightまで、すべて福山雅治さん自らが作詞作曲した楽曲にこだわってリリースし続けました。
アクセスがCMに起用されたり、Good nightがオリコン9位にランクインし始めると、勢いが付いていきました。
約束の丘が15位、MELODYが5位、All My Loving/恋人が2位、IT’S ONLY LOVEでついに1位を獲得し、ミリオンセラーも達成します。
続くHELLOも連続でミリオンセラー、Messageも1位を獲得するなど、若い頃の福山雅治さんは自ら作詞作曲した楽曲で大ヒットを連発していきました。
伝説エピソード⑦笑福亭鶴光のオールナイトニッポンを愛聴して下ネタの参考にしていた
ラジオでは、武田鉄矢さんや平泉成さんのものまねを頻繁に行っています。
あのクールなイメージでイケメンの福山雅治さんが武田鉄矢さんのものまねをする光景は想像しづらいですが、そんなギャップが好感度アップの一因でもあるでしょう。
また、『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』の影響もあり下ネタを取り入れた話術を取り入れていたそうです。
こういう気さくな感じがする所が親しみやすい兄貴みたいで、同性からの支持の高さも納得ですね。
福山雅治さんがラジオでものまねや下ネタを言っている動画がYoutubeにたくさん投稿されています。
伝説エピソード⑧カメラマンとしての才能も凄かった
福山雅治さんはカメラマンとしての才能も凄いようです!
1999年に発売された雑誌ananでは腕前はプロ級として紹介されていました。
1998年(29歳)
花田裕之シングル『Stupid』のジャケット写真(曲のコーラスにも参加)・アルバム『SONG FOR YOU』のジャケット写真を担当
1998年(29歳)
尾崎亜美シングル『愛の構造』・アルバム『Arrows In My Eyes』のジャケット写真担当
2000年(31歳)
NICOLE 2000年春夏コレクションイメージポスター担当
テレビ朝日のシドニーオリンピックオフィシャルカメラマン担当
福山雅治のカメラマンとしての目と、感性に、非常に興味があります。写真展してくれないかな。
— すてら (@schuwacic) December 31, 2014
伝説エピソード⑨ananの「好きな男ランキング」では10年連続2位だった
福山雅治さんがananの好きな男ランキングに初登場したのは1992年(23歳のとき)です。
初登場時は7位でした。
それ以降、毎年のようにランクインするようになり、人気が定着しはじめていた時期だったことがわかります。
しかし、福山雅治さんが1位を獲れることはなく、ずっと目の上のたん瘤のような存在として木村拓哉さんが立ちはだかります。
1999年~2008年まで10年間木村拓哉さんに次いで2位という結果になります。
しかし、『実は2009年は福山雅治がキムタクを抜いて1位だったため、anan側が発表せず2010年には開催しなかった』という説もあります。
芸能人のあの手のランキングが減ったのはまずananの抱かれたい男ランキングが先代のお師匠はんの番組で統計学的に正しい(とされる)ランキングで1位を木村拓哉じゃなくて福山雅治になってからananサイドが抱かれたいから好きな男にシフトしたのがその手のランキングの信憑性を削いだ感は強い。
— エムk (@Aichi_Emuk83) June 12, 2021
ananの好きな男ランキングって、木村拓哉・福山雅治のワンツーフィニッシュが15年だか続いているらしいね。順位変動するのが確実な今年はどうなるやら。ランキング自体が無くなったり、形を変えてきたら闇が深すぎるけど。
— 名刺 (@ametalk_fun) August 17, 2016
伝説エピソード⑩「男性が選ぶなりたい顔」で2013年で5連覇となり殿堂入りしていた
ORICON STYLEの恒例企画になっている男性が選ぶ「なりたい顔ランキング」で、福山雅治さんは第1回から常に首位をキープし続け5連覇を達成、2013年に見事殿堂入りを果たしています!
1位 福山雅治 |
|
2位 木村拓哉 |
|
3位 水嶋ヒロ |
1位 福山雅治 |
|
2位 木村拓哉 |
|
3位 水嶋ヒロ |
1位 福山雅治 |
|
2位 向井理 |
|
3位 木村拓哉 |
1位 福山雅治 |
|
2位 向井理 |
|
3位 木村拓哉 |
1位 福山雅治 |
|
2位 木村拓哉 |
|
3位 向井理 |
この結果を聞いた福山雅治さんは「嬉しいです! しかし、殿堂入りは光栄であると同時に寂しくもあります。来年からのこの企画の時は『殿堂入りした福山雅治』とページの隅っこに小さくていいんで載せてください(笑)」とお茶目な一面も見せてくれました。
このランキングでは10代~40代のすべての世代で首位を獲得しており、まさに幅広い世代からの支持を得ている『イイ男』の代名詞とも言えますね。
伝説エピソード⑪業界関係者の間で高い演技力を評価されている
福山雅治さんを高く評価している著名人はたくさんいます。
福山は本当にすごい俳優だと思う。彼はリアリティを演じることができる。
福山さんは、素晴らしい俳優であり、歌手でもある。私は彼があんなに素晴らしい演技をするのを見て、自分ももっとがんばらなくてはと思いました。
福山さんは、ほんとうにいい俳優さんです。彼の演技は、繊細で深みがあると思います。また、彼は歌手でもあり、その才能もすばらしいです。
福山さんは、俳優としても歌手としても、とても魅力的な存在です。彼の存在感は、大きなものがあります。
福山さんは、とても繊細で、情熱的な人です。彼の演技は、その人柄に通じるものがあります。彼は、俳優としても歌手としても、すばらしい才能を持っています。
福山雅治さんは、演技力が素晴らしく、撮影現場でもとても良いムードメーカーでした。彼が作品に投じた情熱は素晴らしかったです。
出演ドラマ作品で振り返る若き日の福山雅治の軌跡
ここでは福山雅治さんがデビューした20代の若い頃に出演していたドラマ作品を出演シーン画像と併せてプレイバックします。
前述したように、若い頃の福山雅治さんは、俳優としてではなく、ミュージシャンとして活動したかったこともあり、ドラマ出演依頼を断ってきました。
そんな福山雅治さんでしたが、『あしたがあるから』で連続ドラマに初主演しました。
20年以上前から爽やかすぎますね!
俳優としての福山雅治さんがブレイクするきっかけとなったとも言える『ひとつ屋根の下』は、均視聴率28.4%、最高視聴率37.8%の大ヒットドラマとなりました。
熱血長男・あんちゃんこと江口洋介さん、クールでエリートな福山雅治さんの対照的な兄弟役がとてもハマっていました。
『チイ兄ちゃん』として柏木雅也役を演じて爆発的な人気と知名度を上げた福山雅治さんは当時24歳でした。
これだけのイケメンでエリートの役どころに加えてあの美声ですから、当時毎週のように福山雅治さんに釘付けになった女性が溢れかえったのは言うまでもありませんね!
『いつかまた逢える』で、福山雅治さんはドラマ初主演と月9初主演を果たします。
ここからのドラマでの活躍ぶりは誰もが認めるところですね。
この『めぐり逢い』は常盤貴子さんとのW主演で、『ひとつ屋根の下』で次女・小梅役だった大路恵美さんも出演していました。
出演映画作品で振り返る若き日の福山雅治の軌跡
福山雅治さんが10代20代の若い頃に出演した映画は2本のみと、意外と少ないことがわかりました。
1988年(19歳) 1988年に松竹から上映された映画「ほんの5g」はアミューズのオーディションに合格して間もないにも関わらず、主演・富田靖子さんの相手役に抜擢されました。
10代の頃の福山雅治さん、とても初々しいです!
ドラマ出演などが数多いだけに10代・20代で映画出演は1本ずつという意外な結果ですが、福山雅治さんは2008年(39歳)以降にほぼ毎年1~2本ペースで映画に出演されていました。
福山雅治さんは30代になってから役者としての活躍が飛躍的に伸びたんですね。
30代以降の映画出演作品一覧
- 2008年 東宝 容疑者Xの献身 主演
- 2009年 東宝 アマルフィ 女神の報酬(特別出演)
- 2011年 東宝 アンダルシア 女神の報復(特別出演)
- 2013年 東宝 真夏の方程式 主演
- 2013年 ギャガ そして父になる 主演
- 2014年 ワーナー・ブラザース映画 るろうに剣心 京都大火編(8月1日) / 伝説の最期編(9月13日)
- 2016年 東宝 SCOOP! 主演
- 2017年 東宝、ギャガ 三度目の殺人 主演
- 2018 ギャガ マンハント 主演
- 2019年 東宝 マチネの終わりに 主演
- 2020年 東宝 ラストレター
- 2021年 ワーナー・ブラザーズ映画 るろうに剣心 最終章 The Final(回想出演)
- 2022年 東宝 沈黙のパレード 主演
福山雅治が若い頃にリリースしたCD
福山雅治さんが10代20代の若い頃にリリースしたCDをプレイバックしてみたいと思います。
- 14th 1999年(30歳)11月17日 HEAVEN/Squall BVCR-19801
- 15th 2000年(31歳)4月26日 桜坂
- 16th 2000年(31歳)10月12日 HEY!
- 17th 2001年(32歳)3月28日 Gang★
- 18th 2003年(34歳)8月27日 虹/ひまわり/それがすべてさ
- 19th 2004年(35歳)12月1日 泣いたりしないで/RED×BLUE
- 20th 2005年(36歳)8月17日 東京
- 21st 2006年(37歳)5月24日 milk tea/美しき花
- 22nd 2007年(38歳)4月11日 東京にもあったんだ/無敵のキミ
- 23rd 2008年(39歳)10月22日 想 -new love new world-
- 24th 2009年(40歳)5月20日 化身
- 25th 2009年(40歳)12月16日 はつ恋
- 26th 2010年(41歳)8月11日 蛍/少年
- 27th 2011年(42歳)8月31日 家族になろうよ/fighting pose
- 28th 2012年(43歳)3月28日 生きてる生きてく
- 29th 2012年(43歳)10月10日 Beautiful life/GAME
- 30th 2013年(44歳)4月10日 誕生日には真白な百合を/Get the groove
- 31st 2015年(45歳)8月19日 I am a HERO
- 32nd 2017年(47歳)9月13日 聖域
福山雅治さんの最大のヒット曲は2000年(31歳のとき)にリリースされた「桜坂」です。
累計売上は229.9万枚で、当時カラオケでも誰か1人は必ず歌う人がいたくらい同性からも人気を得ていました。
福山雅治さんのシングル売上TOP2は1995年の「HELLO」、TOP3は1994年の「IT’S ONLY LOVE」でいずれも20代の頃にリリースした曲でした。
出演CMで振り返る若き日の福山雅治の軌跡
福山雅治さんが若い頃に出演したCMをまとめた動画がありますのでご紹介しておきます。
また、福山雅治さんが10代20代の若い頃に出演したCMはこちらになります。
- 三菱自動車ミラージュ
- ロッテグリーンガム
- Panasonicブレンビー/ミディオ/
- ダイドードリンコブレンドコーヒー
- キリン一番搾り
- 日本高速通信
福山雅治の全盛期はいつ頃だったのか?
福山雅治さんの全盛期はいつ頃だったのでしょうか?
ミュージシャン・俳優としての活躍ぶりは誰もが認めるところですが、20代よりは30代に入ってからの方が福山雅治さんの人気・知名度が爆発的に上がっています。
ミュージシャンとしての福山雅治さんで言えばやはり『桜坂』が頭に浮かびますが、この曲は2000年に発売され当時31歳でした。
累計売上229.9万枚、オリコン集計では20世紀最後の累計売上枚数200万枚突破シングルという記録を残しています。
ドラマや映画への出演から見ても30代前半が全盛期と言っても良さそうです。
しかし、デビューした頃からの福山雅治さんを見てきて感じるのは、爆発的な人気を得る少し前の20代あたりが一番魅力的でした。
ドラマで言えばやはり福山雅治さんの人気に火を付けたきっかけとなった『ひとつ屋根の下』のチイ兄ちゃんが一番好きでした。
楽曲で言えば、デビュー曲の『追憶の雨の中』や1995年発売の『HELLO』が福山雅治さんの歌声のナチュラルさが感じられると思います。
福山雅治プロフィール
本名 | 福山雅治(ふくやままさはる) |
生年月日 | 1969年(昭和44年)2月6日 |
身長 | 181cm |
血液型 | O型 |
結婚 | 2015年9月28日に女優・吹石一恵と結婚 |
出身地 | 長崎県長崎市 |
所属事務所 | アミューズ |
公式サイト | FUKUYAMA MASAHARU Official web site |
コメント